たかしまんブログ(1/36500)

人生100年(36,500日)時代を生きる。現役役員が教えるどんな企業でも1,000万円稼げる仕事術と豊かに生きる考えかたのヒント。

仮説思考になるために、一番たいせつなこと。

マーケターやリサーチャーは、「世の中はいまこうなっている(=インサイトの仮説)という事を独自の視点で捉え、コミュニケーションプランやレポートに反映する必要があるので、インサイトに対する良質な仮説を思いつけるかどうかは非常に重要。ではどうしたら良質な仮説を思いつけるのかと言えば、答えは非常にシンプルで、インプットの量×質で決まると思う。

 

 そもそも誰しも、情報が無ければ物事を考える事すら出来ないので、あるテーマについて考えを深めたければ、そのテーマのインプットを増やすことがとても重要。まず最初に、体型系な知識を得るために類似テーマの書籍を数冊読むことをオススメしたい。

 同じ著者のものは基本思想や主張が似ているので、できれば複数の著者の書籍に触れた方がよい。書籍間で共通して語られていることは、そのテーマに関する要点である確率が高いはずだし、違いがあればそれは、解釈に様々な視点があることに気付くキッカケになる。書籍から体系的な知識を一通り得たら、次はそのテーマに関する最新のフロー情報(SNSやWEB、雑誌に掲載されている様な情報)に目を通す。フロー情報なので表面的なトレンド・ブームを伝えているわけだけれども、体系的な知識がベースにあれば、本質を見失わずに最新情報をアップデートする事が出来る。


 このようなインプットを得たあとに、実はこれが一番重要だと思うけれども、現在流行っている情報に積極的に触れに行く事がたいせつ。たとえば最新の直木賞を受賞した書籍を読んだり、OLの間で流行っているスイーツをデバ地下に買いに行ったり、話題の映画を興味がなくても観に行ったり、とにかく「多くの人の心を動かしている物・場所」に出向いたり、ふらっと美術館やインテリアショップに入るなど、業務時間中には出会わない物・場所に触れる事を心がける。感性を磨く努力をする、と言い換えても良いかもしれない。良質な仮説やアイデアというものは、様々な情報の結び付きによって生み出されるものであり、遠い距離にある情報同士が結びついた時ほど、先人が考えもしかなった仮説・アイデアに繋がるように思う。そのような良質な仮説やアイデアは、まず頭の中でパッと思いつき(これは右脳的な働き)、それを左脳的な働きで論理的に整理していく、というプロセスで形作られるように思う。

 たとえば大ヒット映画でご覧になられた方も多い「君の名は。」。
登場人物たちの純粋で一途な想いと昔の自分を重ねた人も多いかと思う。少し突っ込んで主観で解釈すれば、男女の入れ替わりを日常に溶け込ませる事で、男らしい男・女らしい女が素晴らしいという従来の価値を否定している様にも感じられる。個人としてはさまざまな感想を持つかと思うけれども、マーケターやリサーチャーのスタンスとして大事なのは、日本に限らず中国でも大ヒットしたのはなぜか?と考えること。ぼくの場合はまず「みんな寂しいのかな」という仮説がパッと浮かんだ。

 何かのインプットした後に訪れるこの”パッと浮かぶ”仮説やアイデアというのは、後述するけれどもとても大切だと思う。この仮説をもう少し肉付けをすると「若者を中心とした多くの人々が、現代のコミュニケーションに寂しさを感じているから」だと捉えたという事なのだけど、そう感じた理由を整理していくと、スマホやSNSによっていつでも誰とでも繋がれる一方で、目の前に友達や恋人、場合によっては家族がいたとしても、いつも誰かとLINEやチャットをしている。同時に多くの人と繋がっているけど、それは希釈化された薄いコミュニケーションばかりで、心に残らない。いつも何故か寂しさを感じる。だからこそ、三葉と瀧くんが交わす時空間を超えたコミュニケーション・想いの強さと濃ゆさが胸に残ったのだ---。

 これは仮説なので正解かどうかはわかりませんが、この仮説を更に一歩進めて「コミュニケーションがデジタル化する現在だが、人々の心のスキマを埋める様な、Face to Faceのマッチングサービスが恋愛目的ではない領域で生まれるかもしれない」とすれば、新しいアイデアに繋がっていく。

 

別の観点から業務時間中には出会わない物・場所に触れることの重要性を説明すると、業務中に触れる情報のほとんどはテキストや動画などほぼ視覚情報となる。しかし街で得られる情報は視覚だけでなく五感で情報を得られる情報。香ばしく焼きあがったパンの臭い(嗅覚)、人々の他愛ない会話内容や自動車のエンジン音(聴覚)、パッと手に取った斬新な形をした商品の手触り(触覚)などなど。街に出かければ自分が意識せずとも五感を刺激する情報と出会うチャンスは無数にあり、こうした五感情報を体内に蓄積させる事は、良質な仮説を生み出す土壌を作っている事と同義だと思う。

 ぼくたちが日々の生活で意識できる情報は、全身で受け取っている情報の3%で、残りの97%は無意識で受け取っている情報だと言われてる。街に出かけるという事は、この97%の情報を集める作業なのだと思う。この97%部分に良質なインプットを蓄積出来ていると、前述の“パッと仮説が思い浮かぶ”という現象に繋がる気がする。データをこねくりまわしても、調査結果とにらめっこをしても、いつもと同じ場所でうんうんと頭を捻っていても、新しい仮説は生まれてこない。インプットの量もバラエティ(質)も不足しているのだ。

 

ぼくはマーケティング業界に関わって10年以上経ちますが、マーケティングやリサーチに従事している人々は本当に皆さん忙しく働いている。また仕事が好きな方も多く、仕事の報酬は仕事という考え方で、新しいことに挑戦し続けている素晴らしい方も本当に多い。一方でそうであるが故に、活動範囲はオフィス・クライアント先・実家周辺に限定され、交友関係も仕事の延長ばかり・・・という方も多いように思う。遊んでいても夜の遊びが中心で、一般的な消費者とのそれとはかけ離れている印象。そういう人たちが、消費者の心に響く良い仮説やアイデアを持てるのかな?と思う。頑張っていても、どんなに忙しくしていても、アウトプットでクライアントに価値(新しい気付きや感動)を提供できなければ意味がないし、価値を提供できないマーケッターやリサーチャーは、発注主の作業代行という役割にに貶められてしまうと思う。

 

マーケターやリサーチャーとして「世の中はいまこうなっている」「生活者はいまこれを求めている」ということを誰よりも理解するには、もっとインプット量を増やし、質を高めなければならない。その為にはもっと街に出掛け、様々なものに触れる必要があると思う。

シンプルに、「もっと遊ぼう!」というという事かもしれない。

燃え尽き症候群になるのも悪くない、という提案

年収が増えると同時に責任が増えるのは当たり前のこと。


さらに役職が上がれば現場から遠くなり、全て間接的な関与に変わっていくのも当たり前のこと。それが経営陣であり、目の前のタスクやプロジェクト単位ではない、会社や事業全体を丸ごと動かすのがマネジメントというものだろう。経営者になりたくてビジネスの世界に身を投じて12年。気がつけば従業員規模2,000名以上の企業で経営を任されるポジションになったのだが、大きな誤算があった。それは毎日が全然楽しくないということ。もうビックリするくらい、毎日がつまらない(笑)

 
(笑)と書いたものの実際は笑えない状況で、幸福度が間違いなく下がり続けている。

そればかりか、何だか力が入らない、情熱が沸かない、モチベーションが続かない、
心が動く機会が減った等など、今までの自分では想像も出来ない状態がしばらく続いている。いつもなら観れば100%泣いていた「わたしの頭の中の消しゴム」、
という大好きな映画を見ても泣けない。まったく感動しない。

最近ふと思い至ってしまったのだが、「これって燃え尽き症候群じゃないか?」という事。まぁそれはたぶん大袈裟で、ちゃんと会社で責任は果たしているしエネルギーが湧く時間もあるので根本的には大丈夫だと思っているが、少なくとも以前より情熱やモチベーションが明確に低下している。自分自身のモチベーションマネジメントが必要になってしまった。

これまでモチベーションなんぞ勝手に湧いて出ていたので、どうやったら自分の心が喜ぶのか?エネルギーがチャージされるのか?モチベートされるのか?を考えて見てもさっぱりわからない。そもそも、その様な視点で自分に向き合った事はないのだからわかるわけもない。このままいけばすり減り続けてすり切れて、最終的には無くなってしまいそうなので、とりあえず、いまの仕事に使う時間を半分にしてみようと思う。

 

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という記事を書いたのが2年前。とにかく自分が疲れるなぁと感じる時間(むだな会議、むだな会話、むだな飲み会、むだな愛想笑い、むだなポジティブシンキングなど)をどんどん減らして、仕事以外で心が喜ぶ時間(ようするに楽しいと感じる時間)を探しまくった。


結果、ダイビングとキックボクシングに出会って今でも趣味として続いている。ダイビングは360度、見渡す限り海に囲まれる空間が何とも開放的で、キックボクシングは自分の身体と向き合ってパンチや蹴りを打ち込む瞬間は、ちょっと楽しい。それから、家に帰って好きなグラスに好きなお酒(サントリー角ハイボールが最高)をいれて、お笑い番組やクイズ番組などを適当に見ながら夕飯を食べる。これがだいぶ楽しい。

2年前なら時間の無駄と切り捨てていた時間が、今は楽しいのだ。

無駄だと切り捨てていた時間は、実は時間をゆっくり使うという「贅沢な時間」。
よのなかで絶対に増えないのは時間だから、効率的に濃密に使わないともったいない、
という考え方ではなく、そんな貴重な時間をゆっくりのんびり使うという贅沢。

この新しい時間の使いかた(と言っても、多くの人にはあたり前の使い方かもしれない)は、間違いなくぼくの心にゆとりと穏やかさをもたらし、人生を豊かにしている。

燃え尽き無ければ辿りつかなかった気持ち。
きっと、全力ではたらく時間が長かったからこそ、
これを贅沢だと感じられるのだと思う。


そう考えると、燃え尽き症候群になるまでやってみるのも案外悪くないと思う。

素敵な言い間違い①

ぼくの奥さんはとても可愛い。
見た目がタイプなのはもちろんなのだが、言動や振る舞いが見ていてとても癒やされる。
昨年、17年越しの片思いを経てついにゴールイン!本当に嬉しかった。

そんな奥さんの愛すべき言動のなかでも、とくに好きなのが素敵ないい間違い。
思い出すだけでも癒されるので、せっかくだから?もったいないので?
ブログに残しておくことにした。


■家ご飯でご飯をよそってもらう時のこと■


ぼく:「ただいまー。あぁ今日も仕事疲れたー。」

奥さん:「おかえりー。ご飯出来てるよー。」

ぼく:「お、サンクス!腹減った…今日はなんだろう?」

奥さん:「今日は焼き魚ときんぴらゴボウですよ」

ぼく:「いいねぇ!テンション上がるね。」

奥さん:「ご飯はどれくらい食べれそう?もっこり?」

ぼく:「え、もっこり? もっこり???」

奥さん:「もっこりよそった方が良い?」

ぼく:「もっこりじゃなくて、 ”こんもり” でしょ!!!」

奥さん:「きゃーーー(恥)」


こんな感じで、ぼくの奥さんは可愛いのだ。

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上司の9割は部下の育成に無関心

前川孝雄氏の書籍を読んでみた。

この本から学んだ事を3つにまとめると、

 

1・管理職はプレイングを辞めて、部下の特性を細やかに把握する
2・実力より少し上の背伸びの仕事を与えると部下は育つ
3・ワークライフマネジメントを前提に、ミッションの難易度やスケジューリングをする

 

という事になる。
成熟市場で仕事をする機会が多いと、通常業務の延長ではなかなか新しい事や難しい事にチャレンジする機会を持ちにくくなる。そのような環境に置かれている会社や部署の管理職こそ、部下が成長できるような機会を創り出す事が求められていると思う。

そしてこの機会を創り出せるかどうかこそ、部下を育てられるかどうかであり、組織力で勝負するマネジメント層になれるかどうかをわける、とも言えそうだ。

 

私自身もプレイヤー業務が好きなので任せきれず、ついつい細部まで業務指示を出したり、我慢出来ず早めにヘルプしてしまう傾向があるが、懐深く悠然と構えて、部下の成長機会を奪わないよう心掛けたい。ボヤなら許し、大火事になる前に火消しする、という感覚でちょうど良いように思う。

 

 

シンクロニシティ・マネジメント

堀内恭隆さんの著書を読んでみた。

シンクロニシティという、生まれる前から使命を持っていて、その使命を全うすれば幸福に導かれるという考え方は共感できるし、シンクロニシティ・フィールドのような存在を感じる時もある。アカシック・フィールドと呼ばれたり日本語では人類の叡智などと訳される概念だと思う。

ただ全てがそこからのメッセージだと考えると、逆に人生が味気ない気もするので、私としては以下3点を学びとして振り返りたい。


・自分の中の違和感を大事にして、違和感を感じたらその選択を見直してみる

 

・自分の感覚(楽しいやワクワク)を大事にして意思決定していく

 

・目の前の出来事には全て肯定的な意図があって、その解釈は自分の心次第で変わる→ここに個人として未来を創る自由があると考えたい


世間では目標達成や課題解決至上主義の声が大きい。それはわかりやすくて評価もしやすく、多くの人が納得しやすいアプローチなのだと思う。また改善の積み重ねが得意な日本人のスキルフィットしやすかった側面もあるように思う。ただ、その先にある達成感には限界があるというか、終わりない旅路に乗り出してしまっている気もする。目標は上がり続けるし、課題は際限が無いからだ。

自分の楽しさとその上昇志向がマッチしているならば問題無いが、ズレに気付いた時は要注意。

心が喜ぶ生き方を選択する勇気、
こそが大切なのかもしれない。